「北欧、暮らしの道具店」との日々

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映画「離ればなれになっても」を観て

1月5日、朝いちの映画館で映画「離ればなれになっても」を観てきました。

 

 

ここ最近の中で1番、飽きずに全部を楽しめた映画だったと思います。ハプニングから始まり、いろんな出来事が次々と起きていく。主人公達4人の40年の人生が濃縮された2時間は、とても濃くていろんな感情が心を駆け巡りました。

 

以下、ネタバレ込みでコメントを書かせてください。

 

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10代~50代の4人の離れては絡まるストーリーが息をのむ間もなく続きます。

若き情熱と、冷たい現実。

そもそもの3人の出会いがまず衝撃的、そして気が付いたら友達になっている。10代のころの包み隠さない性欲には、正直ちょっと引き気味で見ていたのですが、後から考えてみると、後半、彼らが年を取っていくにつれてそんな表現はなくなっていっていて。若いころの情熱ってそういう感じよなと、あの表現には意味があったんだなぁと思いました。

無謀とも呼べる夢、それから突きつけられる現実。そして、ジェンマとの別れ。トレーラーを見たときは、ジェンマとパウロの2人の恋模様がひたすら取り上げられるのかと思ったらそうではなくて、ここからほかの2人、リッカルドとジュリオの人生模様もますます描かれていきます。

再会、そして2度目の別れ

20代~30代、再会。このころ、男性3人はまだまだ仲良しで、それぞれの人生があるよなぁ…、と思ってい眺めていました。そして突然現れるジェンマ。まさかすぐにローマにもどってくるなんて、パウロへの想いに感動しつつ、いったんハッピーエンドになるかと思いきや、また離れてしまうジェンマ。しかもお相手は、親友のジュリオでした。

ジュリオを誘惑するシーンの前に、パウロが教壇で「父性への人類の心情」を語っていたのですが、まさにこの父性の象徴というのがジュリオだなぁと思いました。しっかりした職業についていて、パワフルで、そして包容力がある。揺れ動き、不安なジェンマにとっては、安心感を得られる存在がジュリオだったのですね。

でも、そのジュリオはというと、自分の社会的地位が上がるにつれて、ジェンマのパートナーとしての在り方に不満を感じてしまい、心変わりをしてしまいます。この時点でパウロ派の私は内心、「パウロから奪ったのに!」とかなりご立腹でしたが、わからんでもないなと。(例えば社会人になったときに、私は当時付き合っていた学生の彼とお別れすることにしたのですが、その理由の1つが、「話が合わないから」でした。社会人と学生では、話のネタが変わってきますし、分かり合えるまで耐えられなかった…という自分の経験も踏まえると、あり得る状況だなぁと思いました。)

みんな離ればなれに。

この時点で、みんな離れ離れ。唯一繋がっていそうなのがパウロリッカルドです。でも、リッカルドリッカルドで家族とは離れ離れ。売れない映画評論家から、政治家になろうとして失敗。実の息子には会えないような状況が続いていたのです。そして、ジュリオも幸せになっていそうなのに、美人の奥様とは仮面夫婦、娘との絆すら危うくなっています。

このあたりから、私の実年齢を越していってしまったので、実体験からの共感というのはしにくくなってきました。でも、主人公たちそれぞれの心情は想像することができます。二人の父親の心情にも、想像して寄り添うことができました。

そして、再会。パウロの純愛に感動。

一時行方が分からなくなったジェンマも、折々に登場します。まずはレストランのウェイターとして。ジュリオと別れて、自立して生活していることをがうかがい知れます。そして、運命のパウロとの邂逅。この時点でおそらく2人とも40代。ジェンマには1人の子供がいました。(勝手な想像ですが、この子のお父さんは、9.11事件が起こったときにジェンマの隣にいた男性ではないかと思います。)ジェンマはなんと、劇場でカフェを経営するという、大出世をしていました。以前、ジュリオが求めていたような女性像に近いなぁと感じました。

けなげに劇場に行くパウロ。そして回想のようなジェンマの疾走シーン。このシーンはあくまでパウロの空想なのかと思ったのですが、その前後で隣にいる少年(後半は、ジェンマの息子)への接し方が変わっていて、このシーンのようにパウロとの恋がまた始まったのが現実であったことがわかりました。

暮らす世界は変わってもあの時のように。

パウロ、ジュリオ、リッカルド3人の和解。そして、パウロとジェンマが家族になっていることを知る旧友の2人。ジュリオの気持ちは、正直穏やかでなかったと思います。あの時、ジェンマを手放していなければ…。と少なくとも一瞬頭のなかを、その考えが廻ったのではないでしょうか。一方で、パウロとジェンマが幸せに過ごしていることにほっとしたのだとも思います。彼がいなければ、パウロとジェンマが、こうも幸せに過ごす未来はなかっただろうとも考えると、複雑な気持ちではあります(先述したとおり、パウロ派的にはずっとジェンマと仲良くしてほしかったですが、パウロのお母さまとの同居がしばらく続くだろうことを考えると、お母さまが原因での仲たがいは修復不可能に思うからです)。

ここまで書いて、改めて思うのは、リッカルド、君だけはよくぞジェンマに手を出さなかった。。最初から軽薄そうな雰囲気のリッカルドですが、ジェンマとはいつも友人でいた彼の存在。それには拍手を送りたいです。ジェンマも恋多き女性として描かれていますが、幼くして両親を亡くし、そして親族との関係も良好でなかったことを思うと、そもそも愛情というのに飢えていたのだと思います。そうであれば、無償の愛をくれるパウロにも、父性の象徴のようなジュリオにも、あるいは他の恋人たちにも、はたから見ると誰彼構わず、愛を求めて寄り添ってしまうかもしれません。

40年後の絆。そして新たな出会い。

そして映画はフィナーレへ。ニューイヤーのパーティーにジュリオ、リッカルドを誘うパウロ、ジェンマの二人。当日、忙しく準備をする二人のもとにリッカルドが…そして、なんとその息子も!リッカルドは、故郷でオリーブ農園を成功させたようで、息子(おそらく奥さんとも?)と和解したようです。ジュリオはというと、ここではじめの導入シーンと繋がる展開、娘と自宅で花火を見ているので、来れないんだろうな…と思っていると、パーティに遅れて登場!娘さんのセリフ、「行こう、パパ」の「行こう」は、「部屋に戻ろう」ではなく「パーティに行こう」だったのか、と感動しました。そしてつながる、ヤマザキマリさんがイラストへ描いた4人が並ぶシーン。離ればなれになっても、こうしてつながるんだ。と、物語が収束していきます。

 

ところどころに書いたように、私は始終パウロ派であったので、彼が専任教員として採用された時も、バスでジェンマと再び出会ったときにも涙こぼれそうになりました。だから、中盤はジェンマを敵視してしまうところもあったのですが、母になって落ち着いたジェンマには親目線でウルっときてしまいました。思えば初めから波乱万丈な人生。それにもかかわらず、立派になって…と田舎の親戚みたいな気持ちになりました。

それから、イタリアの情景が素敵ですね。ジェンマとリッカルドが入ったトレビの泉、細い路地続く街並み、それからリッカルドの両親が暮らす田舎の風景。いつかイタリアにも行ってみたいですね。

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4人の主人公の、それぞれの人生をぎゅっと濃縮した2時間は本当に濃密な時間で、感情の消化が追い付かなくて、見た直後はよくわからないモヤモヤ感も残っていました。が、時間がたつにつれ、そしてこうして感想を書くにつれ、あのシーンはこういうことだったのかも、と消化ができ、もう一度みたいなと思う映画だったなぁと思います。

初めてクラシコムが買い付けてきた映画ということで、見に行った「離ればなれになっても」でしたが、新年早々、いい映画に出会えたなと思います。全員に共感できなくても、誰かのどこかの想いには共感することができる、そんな映画を日本に運んでくれて、ありがとうございました。

もし次があれば、今度はどんな映画を私たちに伝えてくれるのか、それが今から楽しみです。